A級戦犯

  「横浜のアオヤギ行政書士事務所」が本日の終戦記念日に、戦争放棄の憲法のもと二度と馬鹿な戦争をしないよう祈願し、A級戦犯につき、解説いたします。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の様子

 A級戦犯とは、戦争犯罪人の処罰を定めたポツダム宣言にもとづき、極東国際軍事裁判(東京裁判⇒写真)で処罰された日本の侵略戦争の中心的指導者のことを言います。 同裁判所条例の第6条が定めるA級、B級、C級のすべての罪が問われました。 同条例でいうB級、C級にあたる罪が問われた一般将兵などと区別しA級戦犯と呼びます。 条例6条のA級は「平和に対する罪」で、侵略戦争の計画や開始、遂行などです。
 B級は、戦争法規違反など狭義の「戦争犯罪」で、占領地人民の殺人、虐待、奴隷労働などを含みます。
 C級は、「人道に対する罪」で、「戦前若しくは戦時中にすべての一般人民に対して行われた」殺人、奴隷化などをさし、ドイツの強制収容所や、上官命令による実行犯にも適用されています。

 

 東京裁判では、A級戦犯28人、B、C級戦犯5400人余が起訴されました。  A級戦犯者28名(50音順)は、荒木貞夫、板垣征四郎梅津美治郎、大川周明、大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳東条英機土肥原賢二永野修、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎広田弘毅、星野直樹、松井石根松岡洋右、南次郎、武藤章

 靖国神社合祀されているA級戦犯は、28人の戦犯のうち14人で、青太字で記載しました。 A級戦犯のうち死刑判決をうけたのは、土肥原賢二・松井石根・東条英機・武藤章・板垣征四郎・広田弘毅・木村兵太郎の7人です。 

 

 A級戦犯のなかで昭和天皇が嫌っていたと思われるのは広田弘毅(絞首刑)、松岡洋右(病死)、白鳥敏夫(獄死)の3名です。
 松岡については日独伊三国同盟を結んだ外務大臣であり、白鳥はそのときの駐イタリア大使で松岡のブレーンにあたる人物です。
  宮内庁長官富田メモは以下のような内容です。 「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波(藤麿靖国神社宮司)は(合祀しないように)慎重に対処してくれたと聞いたが 松平(慶民宮内大臣)の子の今の宮司(松平永芳靖国神社宮司を指す)がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ。」

 松平慶民は幕末に活躍した有名な福井藩主松平慶永の子で、戦前から終戦直後にかけて昭和天皇の側近の1人。 その子の永芳は、筑波藤麿宮司が預かっていたA級戦犯14人の合祀を1978年に実行しました、当時の靖国神社宮司として知られています。