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立憲主義(Constitutionalism)とは、国の最高法規として、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障することを目的とする
政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方です、すなわち、憲法が時の政府の愚行を拘束し制限をかけることを言います。 現在、安倍内閣(憲法順守義務あり)で憲法解釈を変更する行為は、泥棒が、刑法解釈を変えるような、あり得ない愚行であると考えます。
立憲主義は、以下のような内容を持ちます。
① 憲法によって国家権力が制限されなければならないという点です。
② その制限が様々な政治的・司法的手段によって実効性のある一群のより上位の法
に盛り込まれていなければならないという点です。
立憲主義と憲法99条
憲法第99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定されており、「立憲主義」の基本概念が規定されていると考えられます。
立憲主義と国家緊急権との関係
国家緊急権とは、緊急事態において国家が平常時とは異なる権力行使を行う権限のことであり、とくに憲法上の緊急措置によってさえ解決されえない緊急事態が発生した場合に、憲法の規定を超えた国家緊急権の発動が認められるか否かはこの議論の焦点の一つです。 国家緊急件は英米法においては古くからコモンローとしてマーシャルローの法理が認められており、また大陸法系諸国においてもフランス1814年憲章第14条において「(国王は)法律の執行及び国家の安全のために、必要な規則又は命令を発する」と規定し、のちイギリスのマーシャルローを継受し合囲状態として制度化した経緯があります。 ドイツでは19世紀半ばから20世紀始めにかけさかんに論じられました。 近代立憲主義は、国家権力を憲法の拘束の下に置くことを目的とするため、このような権力行使は立憲主義の下では容易に認めがたいため、非常事態における緊急措置について予めできるかぎり立法化することが求められ、各国において緊急事態法制の発達をみています。
憲法上の国民の義務
近代憲法は国家権力を制限し憲法の枠にはめ込むことによって権力の濫用を防ぎ国民の権利(とくに自由権)を保証することを目的としています。 そのため国民の義務に関する規程は憲法の中に重要な地位を与えられていません。 近代憲法として最初期に成立したアメリカ合衆国憲法やフランス共和国憲法には国民あるいは人民一般に対する明確な義務規定は置かれませんでした。 一方で武力を維持するため、あるいは行政の諸費用を支弁するための租税を維持するための規程は存在しており(フランス人権宣言13条、アメリカ合衆国連邦憲法1条8節1項)、宮澤 俊義(元東大教授)によると「当時の人間は、義務は十二分にしょわされていたのであり、あらためてそれを宣言する必要は少しもなかった」ためであるとしています。
アメリカやフランスに遅れて成文憲法を制定した国々の憲法には、義務に関する規定が見られるようになります。 大日本帝国憲法が、その例です。 ワイマール憲法は従来の憲法に比べて極めて多くの義務を規定しており、兵役の義務(133条2項)、納税の義務(134条)、教育の義務(120条)、就学の義務(145条)、名誉職の仕事を引き受ける義務(132条)、公の役務に服する義務(133条1項)、土地所有者の耕作・利用の義務(155条3項)などが規定されました。 1948年イタリア憲法でも教育の義務(30条・34条)、祖国防衛と兵役の義務(52条)、納税の義務(53条)、憲法法律遵守義務(54条)が定められました。 ながらく義務規定を置かなかったフランス憲法にも現在では憲法的効力を認められた文書のなかに義務規定が存在するとされる(1958年第五共和制憲法前文)。 日本国憲法においても憲法における義務規定は存在しており、19世紀的な「教育・納税・兵役」義務と比べれば多様化していますが、19世紀的義務も依然として維持されており、また近年では環境に関する義務規定の例も存在しています。
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